田子重の名前の由来
明治から令和まで。
地元で親しまれる「田子重」
材木店から始まった
明治の「田子重」
静岡県中部を中心に、地域の皆様の「日常の食生活を豊かにするスーパーマーケット」として、普段の豊かな食生活を支えている田子重。その歴史は1872(明治5)年、志太郡小川村(現在の焼津市小川新町/田子重小川店)に始まります。
当時、扱っていたのは材木。伊豆の山から伐り出した材木を、駿河湾を渡って焼津に入り、黒石川を使って運搬していました。創業者の曾根家は「田子重材木店」もしくは「田子十材木店」の看板を掲げていましたが、これはこの商店の家印(刻印)が「カネジュウ」であったことにちなんでいます。
「田子重」の名前の由来について、現社長・曽根礼助は「田子重(田子十)材木店の東に『田子ノ橋(たごのはし)』があり、『田子ノ橋の重助(十兵衛)さんだから田子重(田子十)』ではないか」と考察しています。
焼津地域の発展に貢献した歴史
地域に伝わる『小川村誌』『小川町誌』『曾根十兵衛履歴書』には、田子重(田子十)材木店は初代曾根重助氏が創業し、その後、曾根十兵衛氏が後を継ぎ、次第に店を大きくしていった記録が残っています。
曾根重助氏、曾根十兵衛氏は、田子ノ橋を含む旧小川村小川で治水工事や道路の整備に力を注ぎました。生活しやすくなったこの地には多くの人が移り住み、今のような賑わいにつながっていきます。
「焼津荒祭り」で神輿が通らないルートだったのを、「田子ノ橋」を通過するよう尽力したのが曾根十兵衛氏である、とも伝わっています。
この時に架設した橋を「田子橋」と命名し、これ以来、曾根宅を田子橋あるいは田子十と通称するようになったと『小川町誌』に記されていますが、別の文献には、同じ場所にはこれより前にすでに橋が架かっていたという記録もあり、真偽のほどは定かではありません。
ただ、明治期にはすでに地域の人々の間で「たごじゅう」の呼び名が浸透していたことが分かっています。
「田子重」は、明治期から今まで変わらず、焼津と共に発展し、地元の皆さまに親しまれてきた、歴史のある呼び名なのです。
材木店からスーパーマーケットへ
1973(昭和48)年、田子重(田子十)材木店があった場所に、1号店となる「田子重小川店」を建て、スーパーマーケットとしての田子重がスタートしました。
下の3枚の写真は、建築中~オープン日の「田子重小川店」です。いずれの写真も「田子の橋」の上から撮影したもの。創業者の先祖が架けたかもしれない橋の上から、新しい「田子重」を撮影したと思うと深い感慨を覚えます。